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ピコット便り Vol.131  そよ風・花びら 春の号

                                            2001.春

 1年中いつでも手に入る"きゅうり"。安価でもあり、どこのお宅でも冷蔵庫に欠かすことが無いだろうと思いますが、私は冬場はあまり買いません。旬のものを食べた方が体にいいから・・・ということも勿論あります。でも本当の理由は、私の中に"きゅうりは春のもの!"という子供時代の原体験があるせいだろうと思います。
 

 育った田舎は、中部地方でも春が遅く、畑できゅうりやえんどうが実るのは5月になってから。小学校低学年の頃、学校からの帰り道、暖かな春の陽気の中をのんびり歩いていると、畑にいたおじさんが、きゅうりを1本も持たせてくださいました。今思えば、初なりのたった1本のきゅうりは持って帰っても大家族には少なすぎ、ちょうど通り掛った小さい女の子に持たせてしまったと言う事だったのでしょう。けれども私には、うちの畑ではまだ採れない春の味として、どんなにか嬉しく、大人になった今でも春のきゅうりを待つほどに懐かしい思い出になったのです。
 

 この話には続きがあって、ランドセルときゅうりを並べて置いたまま遊びに行ってしまった私を、母が深刻な顔で待っていました。畑から勝手に採って来たのだろうかと、青ざめていた母は、畑のおじさんの厚意を、二重に嬉しく感じたでしょうが、そんなちいさなことをも見過ごさずに対応してくれた両親のことも、春のきゅうりと共に懐かしく思い出すのです。
 

 そんな訳で、旬にだけ味合うという事は、実はとても幸せな事だと感じています。子どもたちの生活も同じ。赤ちゃんには赤ちゃん時代だけしか経験できない何かがあるし、幼児期には、大人になってからでは出来ない毎日を過ごさなくてはいけないと思います。今、何かと忙しい子どもたちに、好きなだけ空想の世界に浸ったり、仲間と群れて遊ぶ子どもだからこその時間が、たっぷりあるのだろうかと、昔のきゅうり少女は心配しています。